2011年4月01日(金)UP マーケティング

【連載セレンディピティを掴んだ瞬間を追う!1-1】〜三菱鉛筆株式会社〜

1■金銀の筆ペンが取り持ったセレンディピティ

image_01_01.jpg 「わが社が化粧品OEM事業を手がけたのは1985年からになります。」と、今回取材に応じていただいた化粧品事業室室長の宿岩氏は、とても丁寧かつ快活な口調で答えていただいた。そもそも筆記具を製造していたメーカーが、なぜ化粧品を手がけたのか。第一のセレンディピティは、お客様の方からやってきた。時は、化粧品事業を手がける1、2年前。金・銀筆ペンを見た化粧品メーカーの方が、「この機構をネイル(爪に塗る化粧品)に使えないか」と相談に訪れたのがきっかけだった。しかし、当時の法律に照らし合わせて検討・提案を行ったが、その提案は残念ながら実らなかった。

※1)年賀状を書くときなどで使われるペン先が筆タイプで、金色や銀色の液体を入れたもの。今は廃盤となっている。
※2)化粧品の場合は、薬事法の適応を受ける。

・写真は今回お話を伺った 化粧品事業室室長 岩宿 武 氏




2■筆記具が化粧品になれるのか?


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これまでも、「ダーマトグラフ」(図1)という筆記具は、医者が手術の際に皮膚に直接書く商品として利用されていた。芯が紙巻になっており、使っている方、もしくは、何度か見かけた方も多いであろう。「肌に色を塗る」といったこと自体、同社の開発スタッフとしてはそれほどの抵抗感はなかったのだが、いざ事業となるとその差は大きかった。
宿岩氏曰く、「筆記具というと、安価なイメージを持っている方も多いのですが、化粧品メーカー様もそのような感覚をお持ちだったようです。確かに、筆記具はユーザー数も非常に多いことから大量生産・大量消費の商品として今では自動化され、24時間無人で生産が可能です。しかし、化粧品となるとそうはいかなかったのです。材料そのものは安く仕入れられたとしても、製品としては医薬品に準ずるため、生産の場所や検査工程など、どうしても人の手を介する必要があり、結果として非常にコストが高くなってしまったのです。」

ダーマト=ギリシャ語で「皮膚」の意




3■変化への対応


通常であれば、この段階のシミュレーションによって、事業化を見合わせるケースも多いのだが、この持ち込まれた懸案の時期そのものが、第二のセレンディピティであった。「1987年の創業100周年に向けて。」社内には、その記念すべき節目に向けての高揚感と時代の急激な変化への対応といった切迫感が持ち上がっていた。事実1985年は、日本のグローバル社会対応の幕開けともなった年だ。バース、掛布、岡田、真弓の大活躍により阪神タイガースが初の日本シリーズの栄冠に輝いた事変で記憶されている方もおられると思うが、世界経済情勢はこの年の先進国首脳会議「プラザ合意」によって、1$=200円だった為替レートは、1988年までの3年間で一気に1$=120円台前半まで円高が進んだ。消費者においては海外旅行や海外ブランドが気軽に買えるようになり、企業ではこれまで高い生産力を背景とした輸出大国から一転、製品輸入は急増、生産拠点を求めて世界へ進出していった。


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しかし、そのような変革の中で三菱鉛筆としては、厳しい市場との対峙を迫られていた。 「当時の売上の50%程度を鉛筆が占めていたのではないでしょうか。鉛筆離れが進む中、将来の筆記具市場もこれまでの伸びが期待できなくなっていたのです。」 当時日本人の人口は、1億2千万人を突破したところであったが、70年代までの対前年比1%以上の人口増加率は、85年には0.6%となり、この先も増加が見込めないことは明白と事実としてあった。


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